15 August
Dear students, I
wonder what thought you had on 15 August?
Commonly called the
day to “Commemorate the End of the War”, a government ceremony is annually held
in Budoh-kan Hall in Tokyo. After the observance of one minute of silence at
noon, the emperor delivers a short speech. Although not a public holiday, the
Cabinet has decided to set aside the day “to commemorate the war dead and pray
for peace”.
Not only at
government offices, the public is encouraged to fly the national flag at half
mast and to observe a minute’s silence. The National Broadcasting Commission
(NHK) televises the ceremony. NHK also shows how the players stop the game at
noon to stand at attention at Koshien baseball stadium where the national
baseball championship is taking place. It is also an annual rite. To see,
however, people on the street observing the silence is rare.
Although not much attention is
being paid to the event, public performances meticulously repeated is
efficacious. Constructed (and internalized in our psyche) is the collective
memory of the war that ended at noon, 15 August 1945.
To call it the end of the war
is euphemism. It was surrender. The Allies were informed of the surrender on
the previous day (14 August). The official document was signed on 2 September.
What took place at noon, 15 August was the radio broadcast of “jeweled voice”,
a performance put up by the emperor for the audience of his subjects.
This is historical revisionism
pure and simple. First of all, there is no national consensus regarding the
(central) position that the emperor occupies. And second, there are no reasons
to commemorate the surrender as late as 15 August. Had Japan surrendered
earlier, the dropping of A-bomb on Hiroshima and Nagasaki, the attack by the
Soviets, so many civilians forced (by His Majesty’s Army) into death in
Okinawa, and the carpet bombings on almost all Japan’s industrial cities could
have been avoided. The litany of death, 100,000 killed in one night alone in
Tokyo in March, 200,000 in Okinawa in June, more than 300,000 in Hiroshima and
Nagasaki in August, could reach a million or more. (There is no justification
for indiscriminate killings by the U.S.). It is farcical to commemorate the
emperor’s radio broadcast as an heroic decision to end the war.
I am also uncomfortable with
the phrase “wishing to extend condolences to the families of more than three
million who bravely sacrificed their lives, etc.” that PM repeats every year. He
is talking about 3 million Japanese killed in the war and not about tens of
millions died in territories invaded by the Japanese army. That is why another
phrase, also annually repeated, “the loss and suffering endured by the Asian
neighbours”, sounds so hollow.
Think about the absurdity of
saying to the three million Japanese dead “sorry, but we are now prosperous”,
and to the foreign dead, “sorry, but we don’t care about you”.
8月15日
学生の皆さん、今年の8月15日、どんなことを考えましたか。
「終戦の日」や「終戦記念日」と呼ばれていて、毎年、九段の武道館で「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間の黙祷の後、天皇の「お言葉」があります。国民の祝日ではありませんが、閣議決定で「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされています。
政府はこの日、官公庁だけでなく、全国民に半旗を掲揚して、正午には天皇と共に1分間の黙祷をするよう呼びかけています。NHKでは式の模様が中継されるほか、甲子園の球児たちが正午丁度にプレイを中断してフィールドで帽子を脱ぎ、直立不動の姿勢を取る姿が映し出されます。でも街中で立ち止まって黙祷する人はあまり見かけません。
無関心な人が多いようですが、こうした公式な儀式(パフォーマンス)が毎年正確に繰り返されることには、実は大きな効果があります。この場合、多大な犠牲を払った戦争が1945(昭和20)年の8月15日正午に終了したことを、私たちの意識に刷り込まれていきます。
でも、「終戦」という表現は正確ではありませんね。日本は「降伏」したのです。しかも降伏を連合国側に伝えたのは前日の8月14日であり、降伏文書に正式な署名がされたのは9月2日になってからです。8月15日正午、いわゆる「玉音放送」は、天皇の国内向けのパフォーマンスです。
私はこの点に大きな疑問を抱いています。それにはいくつかの理由があります。まず、日本が天皇を中心に成立している国家であること(それを「国体」と言う人もいますが)に国民のコンセンサスがある訳ではありません。そして、8月15日の降伏を記念する理由が見つからないことです。日本がもっと早く降伏していたら、広島、長崎への原爆投下も、ソ連の参戦も、あるいは沖縄の悲劇も、殆ど全ての主要都市になされたB29の無差別爆撃も避けることが出来たはずです(連合国側もずいぶん非人道的なことをしていますね)。3月10日の東京大空襲で10万人、沖縄戦で20万人、と数えていくと、それらの戦闘で命を落とされた人は100万人に達するかもしれません。それだけの尊い犠牲を出しておいて、8月15日になってやっと戦争を止めたことを一種の英断として記念することは、政府の責任転嫁以外の何ものでもありません。
もう一つ気になるのは、「戦没者追悼式」の首相の演説に毎年必ず登場する、「300万余の方々を追悼する」というフレーズです。将兵230万、民間人80万という死者数はあくまでも日本国籍を有していた人たちで、日本軍の侵略先における、おそらくその数倍を超える死者数は含まれていません。あくまでも「殺されてしまった日本人の死者」を祈念する、儀礼的パフォーマンスなのです。これも毎年反復される「アジア諸国の人々に与えた多大の損害と苦痛」というフレーズはとても白々しく響きます。
300万人の死者たちに、「ごめんね、でも日本は復興したよ」と言い、外国の死者たちには、「ごめんね、でもあなたたちのことは本当はどうでもいいんだ」と言う儀式を毎年繰り返すことの不条理さを、考えてみませんか。
コメント欄、無事に作れましたねー。反映されるか&届くかの、チェックとしていただきつつ。
返信削除原爆は「原子力爆弾」ですから、最近の原子力発電問題と同じように並べて語られる方が多くて、よくそういう読物にも接するのですが、そういうのは推測物が多くて。一番興味深く読んだのは、生前のハワード・ジンが書いていた話でした。「なぜアメリカは天皇制維持という日本の要望を受け入れて、核兵器を使うことなく戦争を終わらせようとしなかったのだろう? あまりに多くの資金と労力を原爆開発へ注ぎ込んだため、使用せざるを得なかったのだろうか? それとも、ソ連が計画通りに日本へ攻め入る前に、戦争を集結させたかったのだろうか?」と続いていく話です。(あすなろ書房「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」より)
いろいろな思考が巡ります。
(1)日本が早く降伏していても、「アメリカは強い。もうソ連が日本に攻め入る余地もない」とアピールする為にも、原爆は落としていたのかもしれない。
(2)原爆による原子力へのイメージ低下を元通りにする為、「未来まで安価で安全に環境にも良く使える原子力発電!」とアメリカは躍起になった。
だとか。
ところで、ドイツ人は「負の遺産」を熱心に考えている人が多くて、ボクの音楽の先生がドイツ在住で、彼に、ちょうど「「ごめんね、でもあなたたちのことは本当はどうでもいいんだ」と日本人が考えてしまっている辺りが、韓国や中国に言われちゃう原因かもよ」と話されたところでした。
ボクも同じくbloggerでブログやってるので、今日は雄一郎さんに学んだことをちょっと思い出して書いてみることにします。
夏休みに沖縄に行ってきました。以前先生のパフォーマンス研究で取り上げて気になったので、平和祈念公園行ってきました。
返信削除btwこのブログiPhoneからコメントできるようになってよかったです!とても見やすくなりました⁈
ゼミの皆さんにちんすこうを買って来たので合宿の時にまた。
日本国籍でない戦死者が死者数にカウントされていないということが本当だとしたらそれは腹立たしいことですが、今の我々にできるのは無視され続けて来た"不都合な事実"が存在することを他の人々に知ってもらうことでしょう。戦争のまっただ中では誰が日本人であるかないかと気にする余裕なんて皆無で、誰もが生きるか死ぬかの選択を迫られて、それ以外のことなど考えられなかったはずです。
返信削除そしてなぜ『降伏』ではなく『終戦』と表現しているのか?僕自身歴史の知識は乏しいですが、当時の多くの人々が日本軍がロシアや中国に勝利してきたその実績を目の当たりにしていたからこそ、『終戦』と言う響きの良い言葉を選び、自らの自信と尊厳を保とうとしたのではないかと思いました。