28.2.15

イーダ  25/02/2015


 
  ポーランド映画『イーダ(Ida)』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。美しいカメラワークは、批評家から「フェルメールの絵画のようだ」と喩えられる。みごとな構図と光、音楽に織りなされたタペストリーのように完成度の高い映画なのだが、扱っている内容はずしりと重い。前回のポストで取り上げたPoklosieと同じく、ナチ占領下で、ポーランド人がユダヤ人を殺害し、土地や家を奪ったという話である。

 

映画は、とある女子修道院(ポーランドは、人口のほとんどがカトリック)で、誓願式を前にした18歳の修練者が、唯一の親類である叔母を訪ねてくるように、修道院長に命じられる場面から始まる。貞潔・清貧・従順を神に誓うのだから、ありそうな話だ。主人公は修道院で育てられた戦争孤児で、アンナと呼ばれていた。叔母には一度も会ったことがない。彼女は、叔母ヴァンダから、自分がイーダ・リーベンシュタインというユダヤ人であることを知らされる。二人はイーダの両親と、ヴァンダの一人息子の最期の模様を訊ねる、旅に出る。

 

設定は1962年。登場人物の心には、まだ戦争の傷が疼いていた。レジスタンスの戦士として戦火を生き延びた叔母は、戦後、共産主義国家の検察官となって、反体制派の人たちを次々に検挙し、「赤のヴァンダ」と恐れられた。スターリン主義者に死刑台に送られた人たちの中には、無実だった人も多いと聞く。ここで「ユダヤ人=アカ」というステレオタイプが再生産されていることは、ポーランド史に疎い私のような観客には、ちょっと分かりにくい。

 
自分の出自を知ったイーダが、改めてカトリックの修道女になる選択をする結末も、また、俄かには信じがたい。しかし、民族や宗教、政治的立場が複雑に入り組んだ過去をしっかりと見つめて、現代に照射しようとする姿勢には共感を覚える。侵略の被害者であったポーランドと、侵略を自ら推し進めていった日本を、単純に比較することはできないだろう。しかし、過去を忘却から掘り起こす作業は、ナショナルな言説の限界を超えて、多様性を尊重する、トランスナショナルな社会の構築に、欠かすことができない。

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